フランス近現代思想研究会

研究会記録用HP。慶應三田キャンパスを拠点に週一回の読書会を始め、学会プレ発表、翻訳のチェックなどを行っています。

【書評】Hubert L. Dreyfus, « Merleau-Ponty and Recent Cognitive Science »

Hubert L. Dreyfus, « Merleau-Ponty and Recent Cognitive Science », in The Cambridge Companion to Merleau-Ponty (ed. Taylor Carman and Mark B. N. Hansen), Cambridge, Cambridge University Press, 2005.  

 

 メルロ=ポンティの現象学的知見に棹差しつつ、今日の認知科学における二つの潮流、すなわち、内面的な心理学的法則に依拠する主知主義的立場(「認知主義」)と、記憶の蓄積に依拠する経験主義的立場(「事例に基づく学習」説)を共に批判し、第三の立場として、脳の数学的モデルに依拠するニューラルネットワーク論が擁護されている。メルロ=ポンティによれば、有機体の行動と知覚的世界は、内面的表象や外面的因果性を経由することなく、主体(「生ける身体」)と環境との相互的円環的関係(「志向弓」)によって直接的に結ばれている。著者に従えば、今日のニューラルネットワーク論もまた、表象作用や因果性に訴えることなく、世界に対する最適な位置取りを決定し、世界の中で持続的に自らを作り変えていく主体の姿を描くことに成功している。また著者の論点は、脳の働きについての積極的なモデルを提示することで、メルロ=ポンティの身体論をさらに展開させていく可能性を秘めていると言えるだろう。(T. K.)

【書評】Raoul Moati, Evénements nocturnes : Essai sur Totalité et infini

Raoul Moati, Evénements nocturnes : Essai sur Totalité et infini, Paris: Hermann, 2012.

レヴィナス『全体性と無限』(1961年)を、現象学的観点から、第一部から第四部まで体系的に分析した良書。著者は、パリ第一大学でデリダについての博士論文で学位を取得、オースティン、サール等の分析哲学にも精通し、現在シカゴ大学で教える。J・ブノワのレヴィナス読解(Jocelyn Benoist, Le cogito lévinassien: Lévinas et Descartes, in: J-L. Marion (éd.), Positivité et transcendance, Paris: PUF, 2000)を継承し、後期レヴィナスの思想を『全体性と無限』に投影してきた従来の読解を批判。ハイデガーの存在論が取り逃がした「夜の出来事」(享受、他人、エロス等)についての肯定的な存在論として『全体性と無限』を読解しようとする試みであり、同書読解のために必読の書。(S. K.)

【書評】Etienne Bimbenet, « La chasse sans prise » : Merleau-Ponty et le projet d’une science de l’homme sans l’homme

Etienne Bimbenet, « La chasse sans prise » : Merleau-Ponty et le projet d’une science de l’homme sans l’homme, in Les études philosophiques (2001)

 メルロ=ポンティにおける「人間の『存在論的』還元」を、フーコーにおける「人間の『エピステーメー的』還元」と対照させつつ、両者を人間学的探求という観点から接続しようとする試み。著者によれば、メルロ=ポンティにとって人間とは、本質的に「問題的」な存在であり、既存の知を宙吊りにする「驚き」なのであって、このような存在には「捕獲することなく追跡し続けること」によって接近するしかない。「他者との一体化」を掲げるレヴィ=ストロースの民俗学的人間学や、「人間の死」に代表されるフーコーのエピステモロジー的なアプローチは、あくまで「自己への到来」を保持しようとするメルロ=ポンティの哲学と相反するように見えるが、根底においては、「人間」なき人間学という同じ企図を分かち持っているのである。著者の主張は哲学史的な魅力を持つものであると同時に、現代における人間学を考えるための重要な観点を提起していると言えるだろう。(T. K. )

【書評】Jean-Michel Salanskis, Sur des objections à Levinas

Jean-Michel Salanskis, Sur des objections à Levinas, in: J.-M. Salanskis, L’humanité de l’homme. Levinas vivant II, Paris: Klincksieck, 2011.(邦訳「レヴィナスに対する諸反論について」、小手川正二郎訳、『現代思想』(総特集レヴィナス)、青土社、2012年所収)

 レヴィナスについての従来の読解と反論(デリダ、リクール、フェミニズムの立場等)に共通する傾向と問題をあぶり出し、そうした読解とは一線を画する形でレヴィナス再読を促す画期的な論考。著者サランスキは、数学の哲学や論理学を専門としながら、ハイデガー、レヴィナス、デリダについての透徹した著書を発表し続けてきた(Heidegger, le mal et la science, Paris: Klincksieck, 2009; Derrida, Paris: les Belles Lettres, 2010)。本論では、レヴィナスの記述(「絶対的に他なるものは他人である」、「女性は他者である」)を存在者についての本質記述とみなす根強い見方が、レヴィナスによる視点の転換を根本的に捉え損ねている点で批判され、レヴィナスが語っていることを「それが理解されたがっている通りに」理解すること、すなわち存在者ではなくその意味がいかなる体験のもと、いかなる繋がりをもって経験されているかを問う「現象学的」記述として理解することが提唱されている。レヴィナスを読んできた人、これから読む人すべてに一読してもらいたい論考。(S. K.)

【書評】Sébastien Miravète, La durée bergsonienne comme nombre spécial

« La durée bergsonienne comme nombre spécial », dans Annales Bergsoniennes V, PUF, 2012

 81年生まれの若手による画期的な論攷。連続性や異質性、質的多様性等々によって規定されるベルクソンの持続概念は、通常、非連続かつ等質的な「数」の概念とは相容れないものとして扱われてきた。だが、そうだとすると逆円錐の平面の拡張、記憶による凝縮、表現としての自由などの要所にあらわれる数的表現(plus ou moins 等)をどう理解すれば良いのか。著者の与える答えは、空間を前提としない数の概念がベルクソン哲学の内にあるというものである。主張だけ取り出してしまえば突飛に聞こえてしまうかもしれないが、エドシック(Henri Bergson et la notion d’espace, 1957)やラプージャド(Puissances du temps, 2010)などの先行研究を丁寧に取り上げつつ、未だ支配的なドゥルーズの読みとの差別化を図っている点で、正当なテクスト解釈として評価できるものである。上述のテーゼのより詳細な擁護がなされる著者の博論と併せて読まれたい。(R . O.)

4月7日(月)の読書会について

日時:4月7日(月)15時00分~

場所:三田キャンパス第一校舎144D教室

範囲:

Goodman; p. 101, This will cause trouble when...

Salanskis; p. 249, Premièrement, la science... 

なお次回から読書会のお知らせはメーリスのみとし、輪読文献切り換え時のみこちらに投稿という形に切り替えたいと思います。

新規参加はいつでも歓迎です。お問い合わせは、@occasion1987、もしくはコメント欄まで。